02.1日目 渋谷センター講義

萩谷宏先生 東京都市大学準教授の講義のメモ

萩谷先生の授業は、地学の立場からの授業。武蔵野台地には、古多摩川の影響がしっかり残されている。むしろ全長140キロの多摩川の影響があるところこそが武蔵野台地で、多摩川の影響が及んでいないところ、例えば大宮台地なんてのは、武蔵野台地じゃない。影響は広い。白子川も古多摩川の跡だ。多摩川がほぼ現在の位置に落ち着いたのは1万年前。縄文の頃だという。理由はまだ不明。関東全体の隆起が原因かもしれない。多摩川は流れを変えながら、武蔵野台地のあちこちに、そもそも海の底にあった東京の基盤層の上に砂利を運んだ。その後に富士山や箱根の火山が噴火をして、大量のロームを降らせた、関東ロームとか立川ロームなどだ。関東ロームの下にある砂利、砂礫層は水を通す。その下の12万年前の基盤層は水を通さない。関東ロームを通過した水は基盤層で停まり、砂礫層の中を流れていく。いわば地下に水の流れがある。地下の川といってもいいだろう。台地や地層が切れたところ、砂礫層が地表に近くなったところ、そこに湧水がおこる。等々力渓谷、井の頭、善福寺、富士見池、調布の深大寺、国分寺崖線の野川。共通することがひとつある。その上の台地面は、標高50メートル程度。先生は(まだ仮説)、この50メートルのラインは昔の海岸線だったと考えているとのことだ。DVDで六本木の温泉が紹介されていた。地下1500メートルから汲み出す温泉。東京には180の温泉がある。蒲田、池上、深大寺。大田区の第2日の出湯も紹介されていた。色は醤油のような黒湯だ。砂礫層のさらに下、かつて海底にあった基盤層のひび割れたところに沁み込んでいった地下水が温泉になった。東京に人が増え、地下水が使われ地盤沈下が問題になった。後追いで規制がなされ、地下水面は少し戻りつつあるようだ。東京駅の地下は、掘った当時は、水が出なかった。しかし地下水面が戻ってきて水が出るようになった。出てきた水は川に運んだところ、魚が戻ってきた。キレイな水・・・と思えそうだが、実際はそうでもない。水質検査しても、飲用に適する水ではない、等々力はかつて水の音が轟くほどの水量があったそうだ。国分寺、野川の上流の湧水は、かつて玉川上水の取水場所に選ばれたほど豊富な水量があった。玉川上水工事は失敗に終わったが。しかし、いずれも飲用水としては使えない。上水は、送り出して家庭などの利用者に届くまで 10%以上が失われる。これはメーターがあるから、はっきりわかる。どこかで漏れているのだが、場所を特定することはできない。一方下水は、浄水場に入ってくる量は測定できても、家庭やその他の場所から出る量はわからない。雨もあるし。しかし上水の例から言えば、10%以上が漏水していても何ら不思議はない。東京の地下水には下水が混入しているのはやむを得ない。自然のもつ浄化作用を上回る量が排出されているのが現実だ。明日から、等々力、野川、多摩川などで、この砂利、砂礫をしっかり確認してほしい。

安井万奈先生 東京都市大学非常勤講師の講義のメモ

講義の場所柄か、メインで扱ってくれたの渋谷だった。現在は暗渠になっている渋谷川を題材としていた。渋谷川の支流の宇田川のさらに上、河骨川(こうぼねがわ?)は、「春の小川」が作られる元になったということだ。新宿御苑、明治神宮の湧き水が流れていたが、玉川上水のあまり水も流された。東京の河川は多くが暗渠になっている。東京オリンピックでずいぶん進んだということだ。すでに見ることができないのだが、それでもその場所を特定していく具体的なプロセスを説明してもらった。地形図や航空写真が配布される。等高線も見比べながら、ここに渋谷川があると推測されるとの説明。なるほど、たしかに・・と納得。そして先生が実際に渋谷川の暗渠の上やかつて流路を歩かれた時の写真などを見せていただく。こういうカーブ、こういう坂。そして橋や土手、堤防などの遺構。これはけっこう街を歩く際、かつてここにはこんなものがあったのだろうかと、楽しさも拡がるだろう。Google Earthの上にデーターを乗せた Ground Interfaceの紹介があった。東京23区からスタートしたが、千葉、埼玉、神奈川と、エリアを広げている。等高線と陰影段彩図が乗っているので、街中にたっているとわからない地形が非常によくわかる。他、goo古地図も面白い。渋谷のS22とS32の航空写真が配布され、流路の推測に繋がることを示していただいた。田村圭介「迷い迷って渋谷駅」(光文社)も紹介された。この渋谷駅の更新履歴、断面のダイアグラムはけっこう面白い。とんでもないへ変化をする渋谷駅。それでも変わらず渋谷川が地下を流れていることに注目。フィールドで、都市開発で地形が変わっていても、川の痕跡は多くの場合、見つけることができる。(できそうな気がしてきたw)

倉田薫子先生 横浜国立大学準教授の講義のメモ

先生は植物が専門で、「武蔵野台地の自然史」を植生の視点から語って下さった。万葉集には、オケラ、ムラサキ。伊勢物語には若草、新古今、西行は、萩、桔梗、野菊。武蔵野といえば、雑木林のイメージが強いが、それこそ武者小路実篤の著書の影響でwそれでも原文は「昔は草、今は雑木(ならなど)」という表現がされている。昔の武蔵野は草原だったのだ。東京や武蔵野の本来の植生は何だろうと授業は進む。植生は、気温と降水量で決まる。日本の本州では、照葉樹林と夏緑樹林。(山間部は別の話)照葉樹林は、冬でも落葉しない。比較的熱くて丈夫な葉で光沢がある。林の中は暗い。夏緑樹林は、落葉し、紅葉する。薄い葉が多い。林の中は明るい東京の本来、自然のままなら気温と降水量から言えば、照葉樹林(陰樹林)で、アラカシ、シラカシなどドングリの仲間が拡がっているはずだ。しかし雑木林のナラ、クヌギなどが多かった。そうだよな、雑木林って暗いイメージがないんだよ。

 

武蔵野の雑木林は、コナラやクヌギをメンテナンスすることで成立、維持されていた。自然そのままに放置していると、植物の光に対する要求性が異なるため、最後は陰樹が勝利し、極相林にまで進む。裸の土地が草原になり、陽樹林になり、混交林になり、陰樹林になり、極相林になる。極相林になると安定している。もう変化しない。安定していればいいように思うのだが、実は生物多様性の面からは好ましくないと言える。暗すぎて住める生物が限定されてしまう。植生の変化の歴史を良く見ることのできる場所として、伊豆の大島があげられていた。噴火が繰り返され、裸の土地になった場所の経過年数が違うため、それぞれの段階段階を見て比較することができるのだという。森林の構造は、高木層、亜高木層、低木層、草本層になる。相対照度によってそれぞれの層で生きることのできる植物が異なる。

 

今回、フィールドで見るのは、崖や斜面を見ることになる。それらの場所は、人間が手を入れることが難しい場所でもあり、比較的森林の構造、植生の変化などを実例として確認できるだろう。

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