武蔵野台地の自然史

史跡通り

史跡通り

お昼を終えて再集合。まずは史跡通りを、南に進む。


案内

案内図

この案内を見ると、西国分寺駅と武蔵国分寺の跡の距離は1.15キロだ。もし普通に歩けばば、15分か20分か。
寄り道いろいろなんで、そんなもんじゃ済まないw


武蔵台遺跡公園

武蔵台遺跡公園

最初の目的地。武蔵台遺跡公園。何があるかというと遺跡だw
竪穴式住居で、約9000年前と 4000年前の縄文時代のもの。
台地のヘリ、水のあるところに人は住んだ。


竪穴式住居

竪穴式住居

竪穴式住居は、屋根がかけられ、柵を巡らせて保護されている。こういう状態だったわけじゃない。
先生が、ブツブツ言う。こういう誤解を与えるような展示の仕方は如何なものか。

 


鉄骨

鉄骨

遺跡を保護する屋根の根本。構造は鉄骨。縄文時代に鉄骨の屋根はなかっただろうけども、こういうイメージの外観だったのだろうかと思ってしまう可能性は否めないね。最初遠目に、ちらっと思って、それから頭の中で修正したしなぁ。


遺跡の説明文

説明文

遺跡の説明文
住宅の工事中に発見されて、工事はストップ。発掘調査が行われた。
このあたりはけっこう遺跡が多く、そんなことも多いらしい。
奈良とか、飛鳥とかそんな話が多くあるとはきいた。
先生が言ってたのは、ローマなどヨーロッパでは、やはりそういった規制、法律があって、日本の場合は、発掘費用は国なりが負担してくれるのだが、ヨーロッパで所有者が負担する。だから怖くて掘り返さずw 上に建ててしまうのだと言うw


旧鎌倉街道

旧鎌倉街道

こっちの看板は、旧鎌倉街道と書かれていたようだ。旧の字が消されているが


伝鎌倉街道

伝鎌倉街道

だけど、こっちの表示は伝鎌倉街道だw

 

歴史も研究が進むと、いろいろなことが分かって説が変わってきて、この鎌倉街道のルートなどもいろいろな主張があって、いろんなことを言う人がいて、旧だ、伝だと面倒なこともあるんだろうな。

 

そういう話題、けっこう好きなんだが、今回の先生方は、地質と植物のご専門。鎌倉街道の話題は華麗にスルー。
しょうがない。武蔵野台地の自然史なのだ。八百屋に行って秋刀魚の話をしても、話はあわせてくれるかもしれないけど、サンマは買えないと思う。


国分寺崖線

国分寺崖線

で、旧鎌倉、伝鎌倉街道で何をしたかというと、地形の観察である。
国分寺崖線は、緑のあたりですよぉ。多摩川が」削った土地ですよぉ。そこに湧水があってぇ・・・とかだ。
今まで、自分が風景をみて考えたことのない視点での話。これはこれで面白い。

 

おかげでその後、電車にのっても、崖や高架になると風景が気になってしょうがないw


伝詳応寺跡

伝詳応寺跡

次に伝詳応寺跡に行く。


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